裁判員裁判

裁判員を経験して・・・

実は先週、裁判員としての役目を終えました。
裁判員でなくなってからは自分が裁判員であったことを公にすることは認められているようなので、感じたことをここにメモしておくことにします。

裁判員制度の善し悪しは、1度裁判員として裁判に参加したからといって判断つくものじゃないけれど、私が属した「チーム」で体験した議論が全てのチームで行われているとすれば、裁判員制度は意義のあるものだと思う。裁判官だけでなく裁判員も補充裁判員も、熱心に、ほんと毎日、意見を出し合った。他の裁判員チームもこれだけ議論するんだろうか?と思うくらい。「日本人って思っていても発言できない。」とかいう人もいるけど、そんなことあらへんやん!って思うで。大阪やから?

事件が事件だけに(事件の詳細は書かないことにするけど)「人生やり直しができるって信じたい」と誰もが思いながら、みんなで一つ一つの証拠に対し議論している過程を、「被告人自身にも見てもらいたいよね」なんて意見も出たくらいに、ひとりひとり、真剣に取り組んでた。裁判官が「全く同じ事件なんて一つもないから」といってたけど、まさにそれを実感した。法律や過去の判例を基準にしただけでは人は裁けない・・・というのが本当のところやろう。

4日間の裁判。裁判官と裁判員・補充裁判員の合計11人がチームとなって審議を進めていく。裁判官3人以外は、性別も年も職業も様々。皆、最初は「私でいいんか?」とか「法律のことなんてわからんのに、判断つくはずがない」のようなことを話していた。しかも、裁判員は陪審員とは違い、有罪or無罪の判断だけじゃなく、量刑の議論にも参加し決定しなければならない。量刑がどうのこうのなんて、「絶対自分では判断つかへん」って思ってた。これが、みんなで議論していくうちに、落としどころって見つけることができるというのか、強制されるわけでもないのに、みんなそう大差ない量刑に落ち着いていくんよね。なんか言葉で上手く表現できないけど。ただ、量刑の判断は裁判員には重すぎる気もする。裁判員は量刑の議論に参加する程度にして、決定は裁判官だけで再度議論して決める~という方がいいんじゃないかな。

時間空いたときに他の裁判員裁判を傍聴した感想等、他にももう少し書いておきたいことあるけど、また次回にしよっと。

追伸)
ラストの日のランチ後、裁判所の周りにえらくコワモテな方々や黒塗りの高級車が行き来してて。なにやら傍聴券に並ぶ長い列やマスコミらしき人まで。。。傍聴券の案内の張り紙を見たら「羽賀研二」と「渡辺二郎」の文字が。なるほど、このように並んでるのね。。。